消費浪費にも価値がある理由

投資消費浪費ばなしのつづきです。

 

おそらく多くの皆様は消費はともかく浪費はしたくないとお考えかと思うところですし、眼が”投資”に向かっているような方々は浪費なんてとんでもない、消費も極限まで抑えて投資して増やしてやるなんてお考えかもしれません。
昨今の社会情勢も相まって消費浪費を抑える、つまりはお金の無駄遣いは避けて通る事を心がけていられる方多々いらっしゃると思うところであります。
つまりは消費はともかくとして浪費には価値がないと思っている方が大半であるというのが個人の実感です。
 

でももしかしたらそれは一面しか見ていない認識なのかもしれませんというお話です。
 

以前自分が働いていた職場でお給料をほとんど趣味のフィギアに費やされている方がいらっしゃいました。
そのころ自分はまさに浪費なんてとんでもない消費だって抑えてやると考えていた頃でその行為はまさにお金を価値の無いものと交換するお金を雲散霧消する浪費に見えたんですね。
そのかたは宝物だと笑顔でおっしゃっていたことは付け加えておきますけど。
 

しかし別視点ではそのお金は消えたわけではなかったんです。お金は使っても無くならないことに気づいたわけですけど。
お金って使っても無くならないんです。確かに使ったお金は自分の手元からはなくなります。
しかしそれは消えたわけではなくて誰かの手に渡ったというだけ
だったんです。
僕が浪費としてみていたそのフィギアを買うのに使われたお金は買った人を笑顔にしつつ、そしてフィギアを作った人、運んだ人、売った人等々様々な人の手に渡ったというだけだったのです。
おそらくですがそこに被害者はいなかったしきっと関わった人を幸せにしたとまでいいませんが幾分かは助けることだったんです。
 

投資消費浪費というものにも2面性があって、お金を渡した方と受け取った方での捉え方ができたのです。
 

つまり自分が浪費した、損してしまった事で助けられた人がいるかもしれないんです。
というより消費浪費も行われなければ暮らせなくなる人、困る人がいるわけです。
ある意味みんなで消費浪費もしあって互いに助けあっているというのが世の中の姿だったんです
 

それってお金は天下のまわりものってことだったんです。
 

もちろんお金の使いすぎは自分を困らせることなので避けるべきですが、時には消費浪費もしてしまうこともいいことだったんです。
それはきっと誰かを救ったり助けることだから。
だからいらいらしてやけ酒とかしてお金を盛大に使ってしまいあとで悔やんだり、投資で意図叶わず損してしまうことすら決して悪いだけではないんです。
それは悪ではないし、それをしてしまった自分も悪でも足りないわけでもないんです。
たぶんだけどそれであなたは誰かを救ったのだから。
それは経済に参加することだから。
 

もちろん消費浪費しまくってOKというわけでもなくて投資して失敗して大損もアリアリってわけじゃないですよ。
自らの身は守ってください。何度でも言います。
そうだけど節度ある消費浪費も投資損にも価値があるよってことです。
賢くお金を使うという行為の中には消費そして浪費をすることも含んでいるんです。
 

自分の使うお金を投資消費浪費に分けて見ること、そしてそこで使われたお金が誰を助けるのか誰を幸せにしたのかも踏まえて見てもみる事はすごくいいことなんじゃないかと考えています。
時には自分にとっては浪費なことでも誰かを助けるならそれでいいんです。
それは反省するべきことではなくいいコトしたねなんです。
 

お金と正しく付き合い出来れば賢く投資、消費、浪費とお金を使いたいものですね。
自分は投資、それも他の誰かを助けたり幸せにする投資をする人、出来る人が増えるのならば真面目に世界はもっと幸せに豊かになるんじゃないかと考えているのです。