こんにちは管理人かもめです。
今回は、前回の続きです。
そして、昔やっていたブログの転載少々訂正でございます。
http://shiawasemoney.blog50.fc2.com/blog-entry-19.html
前回のエントリーでお金を使うことは消費・浪費・投資であると分類して考えました。
それを分かつものは交換したものの価値がどうであるかかどうかです。
誰しも無駄なものと交換したくないし、価値が減るものにも交換がしたくないし、どうせなら価値を増していくものと交換したいと思っています。
何か買ったときそれが払ったお金ほどの価値がないと思ったとき悔しい思いをしたり、あるいは元々納得して買い物をしたとき思わぬおまけを付けてもらってうれしく思ったりしたことが誰しもあろうかと思います。
人はトクをしたいのです。
なのに何故多くの人はたくさん浪費・消費をしてしまうのでしょうか?
自分は2つの理由を考えることが出来ました。
ものの価値への判断が間違うことがあること、そして自分の状態を知らないということです。
そもそもものの価値はどこまで普遍性を持つのでしょうか?
それは限りなく相対的で不安定なものなのではないでしょうか?
次機種が出た携帯電話は、その機種の機能が落ちたわけでもないのに値段が下がります。
ある人が要らないと思った本はブックオフに10円で買い取られブックオフで100円で売られヤフーオークションに出され5000円で落とされたりします。
何のニュースもないし周りが何にも変化がなくてもある会社の1分後の株価には違う値段が付いています。
ある人が3000円なら買わないと思ったカバンは流行になって噂になって品不足を起し5000円に値上りしたが、その人は結局5000円で買った。
同じ内容の生命保険は、人によってあるいは同じ人ですら契約時期によって保険料が違う。
ある人が憂さ晴らしのカラオケに使ったお金は2000円、憂さ晴らしをする心境じゃない場合は行かないので0円
こういう事を思い浮かべたときものの価値が極めて不安定でそれを扱う人・場所・時・心理状態などに左右されると分かると思います。
大抵の方はものの価値が変化することについてはよく分っていらっしゃっていると思います。
しかしものの価値は買う人の状態にも影響されるということに関しては気づかれない方も多いとと考えています。ここで自分が強調しておきたいことは、このことです。
消費浪費を出来るだけさけるには以下のことを考えなければならないと言えると思います。
1.ものの価値を知る測ろうとする態度を持つ。
2.自分の状態を知ろうという態度を持つ。
言い換えるならば
1.客観的なものの価値を知る。
2.主観的なものの価値を知る。
これらのどちらかでも抜けたら浪費・消費を押えていくのは難しいと言えるのではないでしょうか。
さらには1と2のどちらが困難な行為でしょうか?
1もなかなか難しく奥の深いものであると思いますが、恐らくは2ではないかと思います。
ものの価値は比較的容易に測ることが出来ると思います。
なぜなら他に比較する対象があることがほとんどだからです。
しかし、自分の常態を知るのはものの価値を測るより難しいと考えられます。
比較することが困難だからです。
たくさんの方が例えば、ついつい一つの記事しか読めない雑誌を買ってしまったり、衝動的にセール品を買ってしまったりあるいは、株を買って損したりする原因の一つは自分を探る視点が疎かになっているからだと考えています。
ものの価値を考えることもとても重要ですが、自分の状態を見つめ探る視点も共に重要なのではないでしょうか?