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それでもキャピタルゲインを得るとき

自分は、実はキャピタルゲインを得ることに諸手をあげて賛同できないでいます。
これは自分の中で処理しきれないでいるということで他の皆様方がキャピタルゲインを得ることはけしからんと思っているわけではありません。

主に理由は3つあります。

ひとつめ、売ったらもうポケットにお金が入らないじゃねーかという理由。
正しく自分は資産負債に関して某ロバキヨの言うことの信者です。
・資産は自分のポケットにお金を入れる
・負債は自分のポケットからお金を奪う
自分にとっては資産は持ち続ける事で利益を得る形こそ王道なんです。

ふたつめ、株式は自分に言わせるなら、それはいわば会社の応援券です。
一部分でもその会社を持ちその会社の発展を望みその会社に愛着を持つからこそ、その会社があげる事業の利益の一部を頂戴することが正当化されるし、むしろそれがいいことであると思うのです。
株式を売るということは言い方を変えるなら応援の放棄です。
応援を放棄した者が時には応援し続ける者より多くの利益を得るというところに一抹の不合理を感じているわけです。(まあ、その応援券は他の誰かが引き継ぐんだけどね)

そしてみっつめ、株式を売ってお金に変えるならばそこには自分にお金を払う人がいます。
もしかしたらその人は損をしているのかも知れません。もちろんその取引は相手が望むからこそ成立するんですけど。
自分は自分の利益が誰かの損のもと成立することは望ましくないと感じているのです。
これは断じて自分の好みの問題で投資はそうあるべきなんていわないですが、自分はどうせなら犠牲者のいない世界で投資したいんです。
そしてそれは実際に存在するわけです。例えば会社がお客さんに喜ばれるサービスをしてお金を受けとり利益を得て株主に配当を配るという構図に犠牲者は存在しません。
他にも上げ相場で株価が上がる中での現物取引なら犠牲者は発生しにくいでしょう。

 

これらの処理しきれないことを処理するために以下を出来る限り守っていこうと考えています。
「できるかぎり」は、自分も完璧でない人なので。むしろ完璧じゃないのが人で、欠陥があってこそ人は完結するとかもっともらしい言い訳を。
まあ、なるたけ守るつもり。

ひとつめ。
まあ自分も投資家の端くれだ。
投資家なら数字の世界を信じるべきだしより利益を高める判断を下すべき。
キャピタルで回収出来る額が、インカムで回収すると自分もしくは対象が滅びるまでに回収できるものをうわまる危険ありの判断なら、叩き売るのもよしとしましょう。
自分も死ぬし、会社もいつか衰え滅びる、盛者必衰。始まりあるものすべてに終りがある。

ふたつめ。
キャピタルを得ようとした場合でも、完全なる放棄はしない。
つまりは一部は残し、自分に利益をもたらしてくれた会社は見守り応援し続ける。
手放した応援券は、他の方に委ねましょう。
ただし応援したいと思わなくなった会社は別。応援したい人に譲ります。

みっつめ。
下げ真っ最中の銘柄はなるたけ売らない。
上げているときは、笑える人が多くなる。下げているときは逆。
自分のせいで誰かが損をするぞというタイミングで売るのは・・・
やっぱやめ。ごめんなさい。自らも守らないといけませんのでそこは割りきっていきます。
取引する人も望んでするんだし許してくださいな。
自らを守るすべを身につけるべきということで。
そのかわり受け取った利益は、生き金として使うことを考えていきます。
お金は天下の周りもの。自分の使ったお金は他の誰かの収入。
そうやってお金は世をめぐり、世界は進化していくってことで。

そんな感じに個人的な決め事を。
まあなるべく守るよ。もっといい方法、もっと良い考え方を見出すまでは。たぶん。