わたしが「私」でなくなる感覚

始めに申しておきます。
わたしは決してピアノが上手いわけではありません。
むしろ、技術も知識も初心者レベルだと思っています。

そんなわたしが、初めて人前でピアノ伴奏を奏でたときの話を
経験談として、綴りたいと思います。

わたしが通っていた中学校は、
当時、音楽に力を入れているような印象がありました。

校内合唱コンクールを、市の文化会館大ホールを貸し切ってやっていました。
3年生の時に「ひとつの朝」という楽曲の伴奏をすることになりました。

わたしは独学でピアノを学んでいただけに、
楽譜を読むことが苦手な傾向にありました。
なので、合唱曲を何度も聴きこんで、楽譜と照らし合わせ、
休日には8時間ほど練習に費やすこともありました。

自己流とはいえ、
当時はピアノに向かうことが唯一の集中できる自分の時間だったので
苦には思いませんでしたし、自分から「弾きたい!」と申し出たくらいでした。

指揮者を担当した級友とは、折が合わないこともしばしばありましたが、
それでも当日を迎えられました。

そして結果的には、わたしのクラスは金賞を受賞することが出来ました!

クラス一体となり、練習に明け暮れた日々は宝物にさえ思えたし、
涙が出るくらい嬉しかった。
記憶として、いまだにわたしの中で誇りの一つとしてあります!

さて、タイトルでも書きましたが…
わたしが「私」でなくなる感覚
これについて綴りますね。

わたしはこの時のピアノ伴奏で、生まれて初めて操られている感覚を実感しました。

失敗したらどうしよう…
途中で止まったらどうしよう…
クラスのみんなに迷惑がかかってしまう…
いつも通り弾けばいいんだ…
でも、でも…

いろんな想いが、ピアノの椅子に腰かけたときによぎったのです。
深呼吸して、目を閉じて、呼吸を整えている間、
しばらくの沈黙が、大きなホールに広がっていたと思います。

意を決してピアノに手を置き、音を奏で始めました。
そこから楽曲を弾き終わるまで5~6分だったと思います。

わたし自身、自分の意識はあるものの、
勝手に手が動いている感覚、
しかも冷静に全体を見回していられる心持ち、
なにかに操られている感じを受けていたのです。

ミスタッチもところどころあったと思いますが、
わたしは既に、音を奏でているだけの媒体でした。
わたしの中に、何かがやってきて、体を操っている…とでも、いうか。。。

わたしの母も観覧にきていたのですが、
初めて泣いた姿をみました。

音楽の先生は、わたしのピアノ演奏を、以前からこう言ってくださっていました。
「歌い手の感情に合わせて、ピアノの音色で感情を彩れる演奏だ」
「感覚で音を奏でている、感情的な音色だ」
他の伴奏者にはいないタイプだと、気に入ってくださっていたのです。

自分が思いもよらないところで、
聴き手側に与えているものってあるんだなぁ~…と、知ったのがこの時期です。

そして、わたしは音楽のとりこになっていくのでした。